人間に生まれたこと

🌸人間に生まれたこと


大空を飛ぶ鳥の姿。


海の中を悠々と泳ぐくじらの姿。


日向で微睡むねこの姿。


そんな姿を見て憧れを抱くこと、一度や二度。


世界にはたくさんの生き物がいる中、


どうして私たちは人間に生まれたのでしょうか?


そこにはとても深い理由があるのですが、


それはまた別の機会に✏️


今回はお釈迦様とそのお弟子の、


とあるエピソードをご紹介します(*´˘`*)


◇◆◇◆◇◆


ある時釈迦が、阿難(あなん)という弟子に尋ねた。


「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」

 

「大変、喜んでおります」


答えた阿難に釈迦がなおも尋ねた。


「どれほど喜んでいるのか」


「どれほどと言いますと…」


答えに詰まる阿難に、釈迦は “妄亀浮木の譬” で説いた。


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果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。

その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。


広い海には、一本の丸太ん棒が浮いている。

丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。


その丸太ん棒は、風のまにまに、西へ東へ、

南へ北へと漂っているのだ。


阿難よ。


百年に一度、浮かび上がるこの亀が、

浮かび上がった拍子に、丸太ん棒の穴に、

ひょいと頭を入れることがあると思うか


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「お釈迦さま、そんなことは、とても考えられません」


阿難は驚いて答えた。

 

「絶対にないと言い切れるか」


「何億年掛ける何億年、何兆年掛ける何兆年の間には、

ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、

無いと言ってもよいくらい難しいことです」

 

「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、

この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」


と、釈迦は教えている。


◇◆◇◆◇◆


これが “ありがとう” の語源とも言われています。


私たちは途方もない確率の中、


人間に生まれてきたのだと分かりますね(๑-﹏-๑)✨


では人間に生まれた意味とは?


答えは仏教の中に☘️


一緒に学んでみましょう。